内池陽奈によるコラム「よしなしごと」を不定期にお届けします。

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「あなたを物に例えると何ですか?」
就活の質問にはこんな無茶振りなものもあるらしい。〈就活のポイント!〉とまとめられた就活アカウントの投稿をスワイプして視界から外す。

実際就活でこの質問をされた時、私は自分をどう取り繕うのかはまだわからないが、ありのまま自分を物に例えよ、とラフなシーンで求められたらかつての私はこう答えただろう。

私は、刺し身のツマだ。


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────────夢を、見ていた。

「私ってさあ、刺し身のツマみたいな存在なのかも」
箸で半透明の大根のもしゃもしゃを掴んで口に押し込む。マグロの血液が少し染みたそれは、鼻腔に生臭さを残して飲み下されていった。
「はあ」
「ツマってさあ、殺菌効果あるの。知ってた?あと、食べるとすっきりするからって意味もある」
「優れものじゃない」
「でも、皆はこれを捨てるのよ。これは飾りだから。マグロのために作られたのに、マグロのために捨てられていくの。居ないより居たほうが絶対いいのに、これを好んで食べる人はいない。」
しゃくしゃく、とツマを食べる。美味しくない。美味しくないけど食べきってやる。意地になって機械的に箸を口に運ぶ。
「居ないより居たほうが絶対いいのに、これを好んで食べる人はいないの。100人居たら100人がマグロを喜んで食うわ」
そりゃあんただってそうでしょ、と海鮮盛りからイカ刺しをつまんでMは言った。
「なあに、あんたレモンサワー1杯でそんなに出来上がっちゃったわけ?」
「酔ってなんかないよ」
平日20時を過ぎた居酒屋はがやがやと騒々しい。そのせいか、酒で気が大きくなったのか、自然と話す声が大きくなっていく。喧騒に紛れ込ませるように、私はそっと呟いた。
「どうせ私は、誰かの脇役でしかないのよ」


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まだ居酒屋でマスクもせずに大声で話せていた頃の記憶だ。かつては毎週のように会っていた親友のMも、ここ一年ろくに会わなかっただけで記憶の中ではずいぶんとぼやけた顔をしていた。
それにしても、とひとり嘲笑する。なんだって突然思い出したのがマグロのツマの話なんだか。随分と暗い話を思い出してしまった。
ふと枕元のテディベアに手が触れた。真っ白いふわふわな毛並みに、深いブルーの瞳のテディベア。水色のセーラー服を着ていて、ブラウンの鼻先は少し毛羽立ってしまっている。名前はホイップ。
「…ああ、そっか」
この子が枕元にいたからか。この子との出会いはさっきの夢の話から始まっていたのだ。

 

「あんたをマグロにしてあげる」
突然MからLINEがきたのは私のその数日後だったか。その時にはすっかり居酒屋でくだを巻いたことなんてすっかり忘れていて、なんのことやらさっぱりわからないメッセージだった。ポコン、と音を立ててメッセージが再び来る。
「渋谷のTSUTAYAの前で待ってる」
そこは私たちのおなじみの待ち合わせ場所だった。慌てて東横線に飛び乗って、彼女の元へ向かう。
ヒールのあるブーツを履いて綺麗に髪を巻き上げて待っていた彼女は、えらく大きなものを抱えていた。
「ん」
ぶっきらぼうに突き出された数日遅れの誕生日プレゼント。そこにホイップは眠っていた。

くくく、と忍び笑いをする。あの時のMの少し拗ねたような照れ顔は本当に可愛らしかった。あの日、贈り物を抱えた彼女はたしかに私を主役にしてくれた。存在感のあるテディベアは、友達グループの中では常に周りの顔色を伺い、異性に傅かれたこともなかった私にとってはこの上ない「主役扱い」だったのだ。
あの時の一番のプレゼントは自己肯定感だったと今になって思う。ずっとこの子をそばにおいて眠っていたのに、いつのまにか大切なことを忘れてしまっていた。自分をつまらない人間だと思い悩み、日常に耐えられなくなって鬱々としてしまっていた。

スマホを取り出して、Mの連絡先を表示する。
「…もしもし?」
眠そうな声。無理もない、まだ朝も早い。
「ごめんごめん、あんたの声が聞きたくなっちゃってさ」
「どうしたのよぅ、急に」
久々に話すのに、Mの声はすっと耳に馴染む。私は上機嫌で続けた。
「…次のあんたの誕生日は、あんたを絶対マグロにしてあげるからね」