内池陽奈によるコラム「よしなしごと」を不定期にお届けします。

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私は、イケメンに恐怖心を持って生きている。

言うまでもなく、これは「まんじゅうこわい」の恐怖ではない。ほんとうに、恐怖なのだ。無自覚なイケメンはまだいい(そんなイケメンまずもって居やしないが)、自分がイケメンだと判っているイケメンがもう何よりも怖い。自分の魅せ方が判っているイケメンが怖い。最終的に自分は許されると思っているイケメンが怖い。恋愛相手に困らないから、恋愛に執着しない余裕を持ったイケメンが怖い。同じように、なんとはなしに人生の壁を突破していくイケメンが怖い。

もちろん、イケメンにもイケメンなりの人生の苦労があるのはわかる。だがイケメンにはその顔面だけで何百万という価値がすでにあるのだ。私達が大量の金と時間と運命をかけて、頬骨を削り、鼻にシリコンを入れ、瞼に糸を入れ、唇にメスを入れ、歯列矯正をしてなんとか手に入れるものを、イケメンは生まれながらにして持っているのだ。

私がイケメンに生まれていたら今以上に努力をしない人間になっていただろう。恵まれた容姿だけで手にすることの出来る恩恵は平々凡々な顔面の私には到底想像しきることはできない。だけど、その差は今までの人生で身を持って体感している。だから、努力をしているイケメンはもっと怖いと思う。ジムに通い、本を読み、勉強をしているイケメンはもう理解不能の域を超えている。イケメンが現状以上になってどうするのだ。神にでもなるつもりなのか。

先日、恋愛系チャットアプリで意気投合した人と実際に会った。チャットでの、物腰がやわらかで、知性があり、聞き上手の共感上手な素敵な人物像に惹かれたからだ。それでも、チャットというしっかりと顔が見えないツールを使っている人だから、容姿は私とそう変わらないレベルなんだろう、と失礼なことを思っていた。イケメンは言葉ではなく顔面で語れるだろうという失礼な考えを持っていたからだ。

オチから話すと、当日、180cm超えの眉目秀麗なイケメンが待ち合わせ場所に颯爽と現れて私は泡を吹いた。いっそのこと泡を吹いて気絶できればよかったのだが、私は悲しくも丈夫にできているので、そのまま1日を共に過ごす運びとなった。

炎天下を避けるために入ったカフェで、私達は自分の話をして、相手の話を聞いた。光り輝く顔面から発せられる苦労話や面白い話は、とても興味の惹かれるものだった。そこで私はまた畏怖の念をそのイケメンに抱いた。一生懸命生きているイケメンは、無敵で、怖い。

そういえば私のゼミの担当教員も大層なイケメンである。彼も例にもれず「怖いイケメン」だ。人生とは、世の中とは、教育とは、…いろんな課題を考え、悩み、素敵な解決に持っていくイケメン。私はこれを書きながら、ゼミ前の時間を活用して目の前でカレーを食べているそのイケメン担当教諭に話しかけてみた。

「先生」
「どした」
「先生ってイケメンじゃないですか」
「…否定はしないね」

と、彼は謙遜で会話を強制的に終わらせることなく続きを促してくれた(彼は素直に生徒に向き合ってくれるとてもいい人なのである)。

「イケメンって言われると嬉しいですか」
「…そんなことはないかな。顔って親からもらったものだし、自分で努力して得たものじゃないから」
「なるほど。…イケメンってやっぱ得しますか」
「するね。ビジネスでも印象が良いし、お前のプレゼンがよく通るのは顔のおかげでもあるって上司に言われたりするね」
「イケメンで損したことはありますか」
これは一縷の望みをかけてきいた。損があってほしい、という暗い願望がそこには灯っていた。

「ないね」


彼はそれを瞬時に切った。私の心は折れた。頑張って私は質問を続けた。

「容姿を褒められても嬉しくない、って言ってましたが、好きな人に容姿を褒められるのは嬉しいですか」
「う〜ん、それって、よくわからないよね。その人が本当はどう思ってるかがさ。世間一般の意見として客観的な意見を言ってるのか、それとも好意を照れ隠しに”イケメン”っていう言葉で表現してるのかはさ」
「やっぱ内面を褒められるほうが嬉しいですか」
「自分の努力しているところが褒められる方が嬉しいよね。でも、それもさ、見た目が好きだから中身がよく見えちゃう、ってこともあるから難しいよね」

そして彼は続けた。


「それに、イケメンっていっても、世の中には上には上がいるしね」


なるほど、と思った。

先に断っておくが、この会話は実際の会話を忠実に再現できていない。録音の断りも入れてなかったし、なにより恐怖の対象であるイケメンと私は対峙していたのだ。記憶があいまいなのもしょうがないことは理解してほしい。あとで本人にチェックしてもらおう。

この会話を経て判ったことは、彼は私の畏怖する「自覚している努力しているイケメン」であり、イケメンはやはり得をしていて、イケメンはイケメンであることに慣れきっていてなんとも思っていない、ということだ(もちろんこれは一般論ではなく彼の場合だが)。

前提として、私は努力家が苦手である。恐ろしいまでのその集中力、自分は高みへ行くのだと信じて疑わないその強さ、脇目も振らずに突き進んでいくまっすぐさが、自分の怠惰を責立てている気がして辛くなってしまうのだ。
要するに、自分の持っていないものを持っている人に私は醜くも嫉妬している。イケメンに対しても、同じなのかもしれない。「努力するイケメン」は、私の持っていない要素を2つも抱えているから最強なのだ。「自覚しているイケメン」だって、自分の強みが判っているという点で、私には無いものなのだ。

イケメン担当教員について熱く語ってしまったせいで打ち消してしまった、先程「そういえば」の一言で消し去ってしまったチャットアプリのイケメンの話に戻る。彼は「自覚のあるイケメン」なのかどうかは知らないが、「努力をするイケメン」であることに間違いはなかった。

正直に話そう。私は彼に惹かれている。私より2年長くこの世の中を見ていて、私以上に世の中を見ていて、私以上に世の中を学んでいるイケメン。未知の部分が多すぎて、私は彼が怖い。怖いのに、その怖さに惹かれている。

この恐怖は恐怖じゃなくて羨望なのかもしれない。やっぱり、「まんじゅうこわい」だったのかもしれない。

…さて、ここで一杯、お茶が怖い。