内池陽奈によるコラム「よしなしごと」を不定期にお届けします。

レジの台におにぎりを2つ置く。商品を手にとってスキャンし始めた店員の顔に、なんとなく目がいった。目立って背が低い女性だ。うりざね顔と言うのだろうか、面長で色がすっと白く、ひとつひとつのパーツが慎ましい。化粧栄えがしそうな顔だなあとふと思った。化粧栄えがしそうということは、現時点で栄えていないということだ。彼女の顔には化粧はおろか表情もろくに乗っていなかった。

袋はいりません。こちらが言うと、398円です、と不明瞭な発音で店員が言った。それは声と言うより音と言った方がいいくらいにくぐもっていて、何より購入者に料金を伝える気が無かった。液晶画面に映し出された金額を目で追いつつ、財布を開け小銭を探る。百円玉を1、2、3、4枚。あ、3円あった。お金を手の上で集め、握りこぶしをトレーの上で開く。トレーの上の小銭をレジの自動釣り銭機に開けた店員の胸元に揺れるネームタグへ不意に視線を移した。“ワタナベ 当店のスタッフは笑顔で接客いたします!”…。陳腐に着色されたポップ体のその文字が、どうしようもなくシニカルでどこか可笑しくて、なんだか不意に泣きたくなった。

泣きたい時はココアを飲むといい。知り合いのお兄さんは昔そう言ってよくココアの缶を手にしていた。何度か彼に倣ってココアを飲んでみたが、結局、私にとってのココアはおにぎりだった。

嫌なことがあるとコンビニのおにぎりが食べたくなる。海苔がパリパリの、ご飯がスカスカなあのおにぎりを。あの機械的な冷たさは、私のことを気にかけていないようで、その無関心さが私には丁度いいのだ。温かいココアは、私にはおせっかいすぎる。


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今日もおにぎりを食べた。
最寄り駅のそばを流れる川の河川敷で、練習に勤しむサッカー少年たちを眺めながら、ビニールのパッケージを剥く。
硬い海苔に歯を突き立てて咀嚼すると、心が落ち着いた。
そして考える。私に今日おにぎりを摂取させたできごとについて。

前提として、私はよくひとり反省会をする。
今日の己の振る舞いについて。私は今日、最も上品に、最も優しく、最も賢い行いができていただろうか。そして、ものの言い方について。私は今日、大好きなあの人をほんの少しでも傷つけはしなかったか。私は今日、嫌いなアイツにもうちょっと一矢報いることができたのではないかと。

物事がうまくいってもいかなくても、私は常にほんの少し、落ち込んでいるのだ。
うまく心を浮き上がらせることができなかった夜は、眠れないこともある。
それだけ私は小心者なのだ。

そんな中でおにぎりは、私にとって精神安定剤なのかもしれない。腹が満たされると心が満たされるし、咀嚼中はクールダウンできる。そして廉価なコンビニのおにぎりは、私の自己評価の値段なのだ。そして泣きたい気持ちを具の梅のせいにする。んだこれ、すっぱすぎるな、と渋い顔でおにぎりを飲み込むのだ。

今日は、とおにぎりを片手にまた反省会をする。今日は、とても忙しかった。怖いおじさんに、理不尽な苛立ちをぶつけられた。いつも優しいあの人がなんだかちょっとそっけなかった。思うように動けなかった。途中、手が震えてしまった。ぐるぐるぐるぐる、考える。そしておにぎりを食べ終わったとき、ふと思った。

これは、そんなに大したことじゃなかったのかもしれない。

どうやら今日は精神的に健康な方へ無事に着地できたようだ。そんな日もある。今日はよく眠れそうでよかった。

まあ、たぶん、私はこの文章を世界に公開して、またおにぎりを食べる。もっといい話はなかったのか、もっと巧い書き方はなかったのか、もっといいオチはなかったのかと。梅おにぎりを渋い顔で喰みながら、ぐるぐると考える。

私のおにぎりの消費は、当分終わらない。


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拝啓、苦い気持ちで咀嚼されていった数多の梅おにぎりたちへ

やすらかにねむれ。

かしこ